名前ひとつでいい

       
さん」

御巫と名乗っている彼女は神社の前を掃除していたら、声をかけられる。
階段を昇ってきたのは島左近だ。豊臣軍の別働隊である石田軍の武将である。はこの神社で巫女をしている。
巫女を始めたと言うべきか。中国地方、厳島神社にいる主の命で日本のあちこちを渡り巫女として散策しながら、
各地の情報を集めていた。
本業は忍者で、本名は世鬼、世鬼忍軍の頭領だが、後継者が育ってきているため、中国地方のことは
後継者に任せて始めている。

「左近か」

「ここに来る途中で鍋と包丁を渡してくれって」

「助かる。お前、今日の仕事は」

包丁を研ぎに出していて、鍋も新しいのを頼んでいた。囲炉裏にぶら下げて使う鍋だ。
紫色の風呂敷包みにくるまれた包丁と真っ黒い鉄鍋をは受け取る。

「休みっすよ。三成様が休まないんで、半兵衛様が石田軍全体を休みにしたんで。刑部さんも休んでる」

石田三成は左近の主で彼が心酔している青年だ。居合いが上手い。刑部は大谷吉継のことで、石田軍の軍師だ。
は顔ぐらいは見たことがあるが面識はない。主はではなく、別の者を侵入させているだろう。
彼女は忍者ではあるが荒事担当でもある。

「石田殿は真面目であるようだからな」

「すっげー、真面目。休みの許可をっ、みたいな感じ」

「茶でも入れよう」

左近とが知り合ったのはがここを拠点にしようとしたときだ。鉄火場で騒ぎを起こして逃げたときに
神社に隠れに来た。騒ぎは彼女が収めた。包丁と鍋は台所に置きに行く。
小さな神社は本殿と生活が出来る別宅ぐらいしかない。台所まで左近は着いてきた。

「しばらく休んでいいですか」

「構わない」

は左近に正体を隠している。
豊臣軍からみれば左近は下の方だ。石田軍ではそれなりに高い。左近隊というのを任されているようだ。

「美味いんっすよね。さんの料理もお茶も。お茶を淹れるコツとか有ります?」

「手順を守れば問題は無い」

「もしかしたら、刑部さんがいつか、オレが秀吉様にお茶を淹れることがあるかも知れないって。水なら何とか、
桶にいっぱい入れて出せば」

「……石田殿に斬られるか、豊臣殿に殴られるかの二択だな。それは」

冷ややかには言う。増やそうとすれば、四択までいけそうだった。
それから数時間後、左近は本殿で眠ってしまっていた。睡眠薬を飲ませたわけではないのに疲れが来ていたのか、
腕を枕に、寝息を立てている。
は風呂敷包みの中に入っていた手紙を取り出すと、左近から離れたところで読み出した。

「政定からか」

世鬼政定は……の親類で、彼女の後継者だ。毛利家に仕えている世鬼家だが、世鬼の本家の生き残りはだけだ。
家族は父母と兄と妹が居たが母は妹を産んで数年後に死に、兄は戦で死んだ。父親はと言うとが殺した。
妹を父親が殺したからだ。
政定の手紙は暗号化はされているが書かれているのは近況のこととと主である毛利元就はザビー教から遠ざけていると
言うことだった。それには安堵する。
西日本は東日本や中央と違い、まだ安定をしている方だ。各地の戦が終わり、各有力者は所領の拡大を望まなかった。
無駄な争いを避けているのだ。それに対して中央や東ではさらなる力を手に入れようとしている。
豊臣軍も、そうだ。
何枚もの壁を作ってはいるが何時破られるかは不明だ。最初に犠牲になるのは四国だろうが、警戒はいる。
あの絡繰り好き赤字国の海賊は自由を好んでいるため、豊臣軍を嫌っている。
読み終わってから竈の火に手紙を放り込んでおく。こちらも左近が帰ったら報告はしておくことにした。
左近は眠っている。
殺そうとすれば殺せるが命令は出ていないし、石田三成は情に厚いと聞いている。左近が殺されれば激昂するだろう。

「……あつ……」

呟きが聞こえた。
寝苦しそうにしている。悪い夢でも、見ているのだろう。
戦乱の世だ。殆どの者はそういうものを抱えている。
は足音を立てないように左近に近付くと悪夢を吸い取るように額に触れた。
彼の目がゆっくりと開く。

「――うなされていたぞ」

落ち着かせるように言うと左近が戸惑っていた。気配を消しすぎただろうか、は微笑をしておく。誤魔化しだ。

「夢、見てたんっすよ。昔の夢」

「そうか」

「三成様に会えて、昔のことは踏ん切りが付いていたのに、たまに」

「亡霊のように襲うことはある、か」

もそういうことがある。経験してきた戦や亡くしてしまった妹のことだ。
毛利もそうだ。たまにうなされることがある。

「清興、って呼ばれて」

清興は左近の名の一つだ。この時代、人によっては幾つも名を持っている。今の彼は島左近でかつての彼は島清興だ。
が彼の別の名を知ったのは鉄火場の側を歩いていたときに彼の昔の知り合いが左近をそう呼んだからだ。

「良い名だな。清興も、左近も。私は左近の方が好きだな」

「左腕に近し、島左近、ってね」

「落ち着いたか」

「出来れば、もうちょっとこのままで」

(政定みたいだな……)

政定はにとっては弟のようなものだ。先のことは不明だが、仲の良い交流は続けたい。
左近が良いと言うまで、このままでいた。



島左近にとって御巫は世話になっている人物であり、気になる人物でもある。
巫女という職業には気をつけろと大谷吉継には言われていた。左近は神社の階段を下りながら、思案する。

(聞きたいこととかあるけど)

触れられたとき、安堵した。
は良くしてくれている。出来る限りなら自分はと良い関係を仲の良い関係は続けていきたい。

「――今度はまだ甘えてみるべきか」

年下扱いされているようだが、それならばまだ踏み込める。
バクチ仲間で今は加賀の方に戻っている彼に恋について聞いたことがあるが、もしかしたら今の気持ちが
そうかもしれない。

「恋せよとか……よし。暇になったらまた逢いに行こう。さんに」

しかし、左近としてはこの気持ちに名前はまだ、つけられないのだ。


【Fin】

4とは言ってもまったり状態というか、左近らしきものになってしまった気がする。ヒロインは大分上なほうというか毛利自体が
やや戦国の最初かその辺なので


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